60代 未知との遭遇

離婚を決意し未知の世界へ突入する60代のブログ

夫の言葉と離婚の準備

派遣社員として働く

手術を受けて退職し、ゆるい復帰から仕事を始めたのです。
その後、友達が立ち上げた介護事業所を手伝い、認定調査員、認知症の方が住むグループホームなどを経験した頃、57歳を迎えていました。



あと何年働けるだろう・・
そんなことを考え始めて、もっといろんな事業所を見てみたい、
いろんな経験をしてみたいと思うようになりました。



夫は、「今のままで、いいんじゃないか」と言いましたが、
私の仕事のことは、私が自由に出来る範囲内です。



そして、社会保険を継続したまま、いろいろな事業所を経験できる派遣の形態を選びました。あと半年もあれば、無期契約に転換できる寸前の、4年7ヵ月で雇止めとなったのです。



「派遣の雇止め」のことを知らずにいたので、かなりショックでした。


突然の失業状態


その通知を受けた日に、友達からたまたま電話があり相談すると
「それ、雇止めだよ。同じようなことが、凄いニュースになったことあるじゃない。」
地元大学の研究職員の大人数が雇止めとなり、問題となったことがあるそうです。



有期雇用の派遣社員は、継続して5年勤務すると
有期という縛りがなくなり、
申告することで無期という、期限がない雇用の権利を得ることが出来ます。
(条件は、いろいろあるのですが・・)



雇止めそのものは、違法ではありませんが
派遣社員が「いつまでも働ける」と、思わせてしまうトラブルがあるため
2024年4月から、労働契約書の記述で正しく周知するという、派遣法が改正されています。



簡単に言うと、改正前に無期雇用に転換できる人材を
トラブルをなくすために雇止めした、という感じです。



周囲の人達に相談してみて、その仕組みがよくわかり、手順を踏んだことで
給付制限のない状態で、失業保険を受けることが出来ました。



しかし、突然の失業状態に違いはありません。
またくるかも・・「鬱の症状」というのが想像できました。
「ならば、事前対策しないと・・・」それから、NHKのテレビ体操と散歩を始めたのです。



失業保険は給付制限がなく、すぐに支給が始まりました。
調子は良かったのです。



収入は少なくなりましたが、「時間がたっぷりある」「幸せだなぁ」
そんな日々でした。あの日の、食費論争までは・・



また、その食費論争の後から、気分に浮き沈みが出はじめました。


鬱症状の第2波は避けたい

昔のことを思い出してウルウルし
「あさぎーにょ」の動画を見て笑い


この感情の起伏は、オキシトシンが足りないのかも・・。


オキシトシンは「幸せホルモン」と呼ばれ、人同士や動物とのスキンシップによって分泌が増えるといわれています。 幸せホルモンを増やすことはストレスや不安な気持ちの軽減に役立ち、毎日を幸せに送ることにつながるかもしれません。 幸せホルモンを増やすために食事や生活習慣を見直すことで、前向きな心へと整えていけたら良いです。


このままでは、いけない!また、波にのまれてしまう・・・


夫と顔を合わせるのが、段々苦痛です。
「ストレスなんだ」「良くここまで我慢してきたよ」
論争の時の夫の言葉が、波のように押し寄せます。



離婚を考えているのだから、今度は自分で解決せねば・・・
「う・・んと」「え‥っと」何をすればいいんだろう。


離婚の準備

もう一人の私が言います。
「考えることないよ、準備をすればいいのよ、離婚のね」



離婚の準備・・・
そういえば、なにも考えていなかった。
離婚するからには、その後の生活をどうするか、見込みをつけなければいけない。



生活の殆ど一切を、夫が担っていたので、生活全般の手続きなどわかりません。
「そうか、一人で生活するために必要なことを調べよう」



どこに住むのか、仕事はどうするのか、生活のライフライン・保険などなど
ボ~っとしている場合ではありません。



この選択が良いのか悪いのかもわかりません。
「自分らしく・・・」「納得のいく人生・・・」もわかりません。



でも、迷っていては「未知との遭遇」には出会えない、そんな気がします。